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島根県雲南市大東町須賀にある「須我神社」の写真です。神社の写真は結構撮っているつもりでしたが、過去を遡ると全て桜、紅葉、星など神社以外の「主役」を撮りに、絵になる「神社」に行ったものばかりで、このサイトの四半世紀の歴史の中で神社だけの写真を上梓するのは初めてです。日本初の「宮」を標榜する由緒ある須我神社ですが、意外なほど小規模で素朴な神社です。執筆している内に日本初の「謎」に対峙することにもなりました。撮影日は2025年5月12日です。
EOS 6D, EF24-105mm f/4L IS USM @35mm, f/8, 1/1.3s, ISO 800
付近がバイパス化された島根県道24号線から少し外れた、旧街道沿いに立つ須我神社。一応県道24号沿いに大きな「一の鳥居」が立っていますが、目的的に来ないと見落としてしまう場所で、実際私も山王寺の棚田(この場所から10分)に出掛けた時に、完全に見落としました。しかし、この写真のすぐ左脇には「神楽の館」という茅葺きの神楽殿があり、瑞風・山陽山陰周遊コースの乗客が立ち寄る重要な観光名所でもあります。
EOS 6D, EF24-105mm f/4L IS USM @32mm, f/8, 1.3s, ISO 800
神社を真正面から。
須我神社の由緒は、神社のホームページ(→リンク)によると、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが稲田姫と共にこの地に降り、「わが御心すがすがし」と仰り、この地を「須賀」と命名し、日本で初めての宮殿を作り鎮まられた。これが古事記、日本書紀に記された「須賀宮」「日本初之宮」であり、その際に美しい雲が立ち昇るのを見て読まれた「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」が和歌の発祥とされ、またこの歌の「出雲」が現在の出雲の国名の起源となっていると言われてます。
要するに、この宮が生まれていなければ、「出雲」大社も無かったということです。須我神社の御祭神はスサノオノミコト、イナダヒメノミコト、その子であるスガノユヤマヌシミナサロヒコヤシマノミコト。出雲大社の御祭神はスサノオノミコトの6代後のオオクニヌシノミコトです。
EOS 6D, EF24-105mm f/4L IS USM @28mm, f/8, 1.6s, ISO 800
本殿です。二本の高い杉の木が歴史を感じさせます。
先程の由緒からすれば出雲大社並に壮大な神社でも良さそうなものですが、街や村にある普通サイズの神社です。戦前まで使われた神社の社格制度でも、出雲大社が神宮(別格)に次ぐ最高位の「官幣大社」であるのに対し、須我神社はその他大勢に属する「県社」に留まっています。
「日本初之宮」を標榜していますが、Googleで「日本初の神社」「日本最古の神社」で検索すると須我神社以外の神社が多数出てきます。奈良県の大神神社(大物主大神)、淡路島の伊弉諾神宮(伊弉諾尊)、三重県の花窟神社、奈良県の石神神宮など。御祭神の古さで言えば伊弉諾尊(イザナギノミコト)が一番古いですね。しかしそうなると、伊邪那美命(イザナミノミコト)が亡くなった時に伊弉諾尊が悲しみ比婆山に祀ったという、島根県安来市の比婆山久米神社奥の宮(伊邪那美大神御神陵)が古事記の中で一番古い記述になりますが、誰もそのようには扱っていません。そしてこの神社は山道を徒歩で40分登らないと辿り着けない、無住の小さな寂れた神社です。
話が脱線しましたが、須我神社の肝は日本初の「宮殿」という事らしいです。「宮」は神社ではなく建物の事で、それを由緒とした神社なので「日本初之宮」。
EOS 6D, EF24-105mm f/4L IS USM @24mm, f/8, 2.5s, ISO 800
では、階段を上ってスサノオノミコトにお参りしましょう。
EOS 6D, TAMRON SP 35mm F/1.4 Di USD F045, f/1.4, 1/30s, ISO 800, Kenko Center ND
大きくない神社ですが、鈴緒に金糸が入っているのかキラキラと輝き、神社の社名も金文字で、品格と誇りを感じさせる佇まいでした。
EOS 6D, TAMRON SP 35mm F/1.4 Di USD F045, f/1.4, 1/80s, ISO 800, Kenko Center ND
神様に柏手を打つ目線で、、
EOS 6D, TAMRON SP 35mm F/1.4 Di USD F045, f/1.4, 1/8s, ISO 800, Kenko Center ND
最後に右側から、、
EOS 6D, TAMRON SP 35mm F/1.4 Di USD F045, f/1.4, 1/2s, ISO 800, Kenko Center ND
帰り際に、楼門で振り返って。小さくても、密度の高い神々しい場所でした。
2025年6月20日
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