あるイベントに娘が参加するために、岡山まで付き添いで出かけました。しかしそのイベント中は親にはすることが無いので、私はその間に美術館めぐりを。訪れたのは竹久夢二郷土美術館と岡山県立美術館です。そこに展示されていた作品を、一人の写真家としての目で楽しんできました。
竹久夢二は私の好きな画家の一人。彼の後期の作品、大正後期から昭和初期にかけて描かれた女性は夢二の理想の姿を心象的に表現していますが、その姿がまた私の好きな女性像に似ているからでしょう、見ていてとても心地よいのです。姿はほっそりとして、色白で、首が細く長く、面長で、口と目の間が長めで、たれ目気味の憂いを秘めた大きな瞳が顔の両端にある女性。う〜ん、文字にすると変な容姿の女性になってしまいますし、写実的チェックをする目で見れば描かれている女性は現存しないようなバランスで描かれていますが、美しいのですよ。心で見るとね。
「開運!なんでも鑑定団」を良く見るので、鑑定士気分で本物の夢二の絵を仔細に見てきました。お陰で夢二の描いた女性を見れば、その絵が描かれた年代も分かるようになりましたが、その秘訣は脇に置いておいて、写真的なことを語りましょう。夢二の筆遣いばけっして緻密なものではなく、細部を見ればかなり粗いというか、大胆な筆遣いで描かれています。写真に例えればフィルムの粒状性も良くは無いし、レンズの解像度もさほどのものでは有りません。また色使いは決して鮮やかとは言えず、赤や青や緑といった原色に近い色を多用しつつも渋い色を選んで使っています。再度例えれば、華やかな情景をベルビアではなく、コダクロームで撮影したようなものです。
しかし細部を見るのではなく、絵、それ全体が語るものを見るために、ほんの1〜2mほど絵から下がれば、夢二の絵は他の誰にも描けないような独特の雰囲気を強烈に放ってきます。作品の本質とは、解像度でも色の鮮やかさでもないよ、と語っているかのようです。
夢二の絵を見ていて、「ポートレートを撮るならこんな感じに撮れたらいいなぁ」と思いつつも、しかし、撮れるという気が全くしませんでした。彼の描く女性は、私の知りえる範囲の銀塩写真の表現能力を超えて描かれている様に思えたからです。例えば岡山の夢二郷土美術館には彼の代表作である「立田姫」もあり、仔細に表現手法を鑑賞してきましたが、この絵は写真では決して採用しないと思われるモデルのポーズで描かれています。後ろ向きに手を広げた女性が、真後ろを振り返るような姿。現実の世界でこのポーズをとればモデルの首筋には醜いしわが多数出来てしまうはずですが、勿論夢二はそのようなしわを描いていません。それを描かなくても不自然にならないのは絵画の強みで、写真はそこにあるものをどうしても写して(描いて)しまいます。もちろん強調や省略は可能だとしても、やりすぎると不自然になります。それ以外にも限りなく細い腕や腰、10等身はあろうかというプロポーションなど「立田姫」に用いられている様々なモチーフは写真でどのようにすれば良いのか分からぬものばかりです。という訳で夢二の様なポートレートは撮れる気がしないのですが、しかし異なる手法で同じような心象をもたらす表現手法も有るかもしれません。絵画をみてインスピレーションの種を蓄える事は、将来の役に立つかもしれません。
ちょっとわき道に逸れますが、KENがマクロ写真に求めている表現は、印象派の画家、モネのものです。私はモネの絵が好きで、彼の代表作でオルセー美術館に展示されている「日傘の女」の大きな複製画をルーブル美術館で買い求めて、額装してリビングルームに飾ってあります。Impressions
by KENの「Impressions」もモネから来ている名前で、印象派という意味の「Impressionism」に合い通じる作品/印象「Impression」を沢山掲載したいという意味でつけています。そのモネはむしろ睡蓮で有名な画家ですが、彼の絵はどれも鮮やかでありながら淡い色合いで表現されています。しかしモネは淡い色合いを淡い色の絵の具で表現しているのではありません。もっとはっきりとした色合いの絵の具を多数用いて、それらを細かく(ちょっと乱暴な表現を使えばモザイク状に)塗り分けて、全体として、色合いに芯がありながら同時に淡いという印象派独特の表現を確立しているのです。
KENがモネのもつ雰囲気をフィルム上に写す際には勿論モザイク状の塗り分けなど使えません。代りにできるだけ柔らかい色合いの被写体を選び、フィルムは鮮やか系を用い、そこにマクロレンズ独特の大きなボケを重ねます。場合によってはソフトレンズやKEN流二重露出によるソフト表現を加えています。これは(どこまで成功しているかは皆さんの判断に任せるとして)KENがモネの表現を念頭におきながらインスピレーションを重ねて辿り着いた一つの手法なのです。このようにして撮影された写真は、勿論モネとは似ても似つかぬものですが、しかし自分自身の中では同一のエレメントを感じています。
あくまで私個人の意見ですが、絵画とは写真よりも遥かに自由で表現領域の広い手段であり、写真を志す者にとって新しい表現手段を開拓する良い手本になると思っています。
竹久夢二の絵に話を戻しましょう。夢二の原画は独特の憂いと繊細さに溢れた雰囲気を持っていますが、私はこの様な雰囲気を持った写真を見たことがありません。またどのようにすれば撮れるのかも現時点では想像が出来ませんが、遠い将来までには何かのインスピレーションを得て、撮影手法を編み出すかもしれません。その時がKENのポートレートデビューかも(笑)。但しそれは年金生活に入って、夢二風のファッションが似合うようなモデルを雇えるだけの時間的&経済的余裕が出来た頃の事でしょう。
ところで、将来の年金制度は大丈夫かな〜(^^;
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竹久夢二「立田姫」 1930年(昭和5年)頃。
121.5x97.8cm。二曲一隻の屏風。
夢二自身が「自分一生涯における総くくりの女性だ」と語ったとされる自信作。夢二郷土美術館(岡山市)蔵 |
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KENの家のリビングに飾っている、モネの「日傘の女」。1886年の作品。カンバスに油彩。オリジナルはパリのオルセー美術館蔵で、各131x88cmの巨大な絵です。
KENのこの複製画は、額の大きさでおよそ80x50cmほどの、うさぎ小屋マンションのリビングに飾るには最大サイズ(?)のものです(笑)。 |
その部分拡大写真で、ご覧のように多くの色を細かく塗り分けて、遠目にはモネ独特の色合いを表現しています。この絵よりも睡蓮の方がより特徴的な筆使いをしています。睡蓮の大きな複製画もパリの画商で買い求めていますが、それを飾るだけのスペースが我が家には無いので、お見せ出来ません(涙)。 |
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