2004年の秋は9月20日に彼岸花を撮影して以来、年末まで丸三ヶ月間全く撮影しませんでした。サイトの更新も11月1日から丸一カ月以上更新してなくて、非更新期間の最長記録を作ってしまいました。理由は...10月半ばに身内に不幸があり撮影どころではなかったのです。そのゴタゴタもひとやま越えたので、元のKENの生活リズムを取り戻す為に「つぶやき執筆」から手をつけることにしましょう(笑)。しかし三ヶ月も撮影していないので写真/カメラネタが思い浮かびませんので、写真とは関係のない話題を書くことにします。
身内の不幸に端を発して、私個人は非常に多くの事をしなければなりませんでした。その過程で今までに無い経験、人とのつながりを体験しました。それを書くにあたって、私に起こった事柄の状況説明だけしておきます。10月半ばに大阪に住んでいた弟が若くして亡くなりました。その葬儀、残された遺族の諸々も大変でしたが、私が一手に引き受けたのは叔母の諸件でした。
私の叔母は大阪で生活保護を受けて生活していました。既に高齢ですが、私たち兄弟と私の両親以外には特に身寄りも無いので、同じ大阪に住む弟が叔母の世話や金銭管理、重要なことの決定をしていました(亡くなった弟以外では、私が広島、その他の私の家族は東京に住んでいます)。その叔母は下半身が不自由な事に加えて、春に脳梗塞で倒れて入院し、その後リハビリ中でした。その矢先の弟の逝去。それで弟に成り代わり叔母の諸件を私が引き受けることにしました。しかし弟の結婚式を除けば私は叔母には20年近くも逢っておらず、どこに住んでいるのかも知らない状態...入院していたことすら弟の葬儀の前日まで知りませんでした。まさに五里霧中です。その霧を悪戦苦闘しながら少しづつ晴らしてゆくと、見えてきた状況は複雑深刻なものでした。要約すれば..
・入院中の病院の退院期限が弟の逝去から一カ月後に迫っていた。
・しかし脳梗塞の後遺症から、単身生活は無理との主治医の判断が下り、介護施設への入所を勧められた。
・しかし生活保護費で賄える介護施設は殆ど見つからない。
・単身生活が無理となると、生活保護から家賃が出ている現在の住いは家財を含めて処分される。
つまり「現在の生活場所(病院)は直ぐに出なければならない。今まで住んでいた所には帰る事が出来ない。代わりに生活する場所も無い。しかし新しい生活場所を見つけないと、現在の住いも家財も処分されてしまう」という状況だったのです。その後、私の願いが通じたのか奇跡的に生活保護費で入れる介護施設の一つに空きが出ましたが、更なる問題が..
・亡くなった弟が生命保険金を叔母に残したので、生活保護が打ち切られる。
(保険金は3〜4カ月分の生活費にしかならない小額でした)
・介護施設は現在住んでいる市とは異なる場所にあるので、生活保護が打ち切られてから転居する。
(保険金が無くなったら直ぐに生活保護の再申請をしなければなりませんが、それをこれ迄の叔母の状況を知らない市でせねばなりません。生活保護の申請取得はかなり難しいのです。)
・病院の退院、介護施設への入所、転居、役所の手続き...これらは全て平日でないと出来ない。
(この多忙の中で、会社を繰り返し休み広島から大阪まで出向かなければなりません)
・叔母は足が悪いために椅子や高さのあるベッドでないと立ち上がれない為に、介護施設入所までにベッドと椅子を準備しなければならない。
(広島で発注して大阪に届けるので通販になりますが、通販ではベッドを組み立ててくれる所はごく少数です。しかも緊急で配達日指定まで出来る店は無いと言って良いでしょう。)
この五里霧中の霧を晴らすために、医療関係、福祉関係、介護関係の方々に問い合わせをし、アドバイスを求め、色々な事を決定し実行してきましたが、この際の関係者の方々の対応は実に見事でした。役所である生活保護や介護保険、身体障害者福祉、高齢者福祉を扱う各部署、私企業である病院や介護ヘルパー、介護施設。私としては「当然」問題点を要素ごとに細切れにして、各々に関係する人と一つ一つ相談しなければならないと思っていました。しかし介護に関わる人達にセクショナリズムは無いようです。
私が最初に叔母のことを相談したのが病院の相談員の方だったので、私は主にこの病院の方と連絡を取り合ったのですが、この方に質問すれば、市役所の複数の担当者、介護ヘルパーや介護施設の関係者とも調整して下さり、翌日か遅くとも二日後には明確な回答やアドバイスを戴く事が出来ました。私は毎日深夜までかかってファックスを書き、翌日にはまた長時間掛かったであろう長文のファックスを戴く。この繰り返しで一カ月に交換したファックスはA4ワープロ書きで50ページを遥かに越えます。
連絡手段こそ異なれ、市役所の対応も同じでした。こちらで主に連絡を取り合ったのは生活保護課の方でしたが、この方と連絡を取り合ったのも単に最初に病院から紹介戴いた方、というだけの理由です。しかし生活保護の問題に限らず、介護保険や身体障害者手帳の更新と移転手続き、生活保護打ち切りに伴う国民健康保険の問題、転居に伴う電話、電気、水道、ガスの停止、家財の処分などなど、全てこの方が窓口になり、関係部署や各会社と調整の上で広島の私まで電話で連絡してくれました。役所が休みの土曜日でも電話をくれて、私の判断を確認されてから手配される程でした。
お蔭様で、12月半ばには叔母の退院、介護施設への入所、転居と家財の処分、アパート契約の終了などを全て済ませることが出来ました。私もそれなりに大変でしたが、何も分らない状態から二ヶ月ほどで一気に一段落出来るところまで漕ぎ着けられたのは、介護医療、福祉関係の方々の、こちらの立場に立った親身な援助のお蔭だと思っています。この様な役所/私企業を越えてセクショナリズムや杓子定規なルールとは無縁の柔軟な対応は、私企業でも滅多に見ることは出来ないのでは無いかと思います。
思うに、高齢者福祉は相手が弱者です。身体が不自由で判断能力も十分では無くなってきた高齢者の方に「これはこの部署、こっちはあっちの部署」と言っても話は進まないでしょう。だからこの様な体勢が出来上がったのかなと想像しています。役所も企業体の一つと考えたときに、企業の成長を支えるのは、顧客の立場にどれだけ立った対応が出来るかでしょう。その意味で介護福祉領域は役所、私企業を越えて素晴らしい体勢が出来ていると感じました。勿論これは大阪の某市の話で全国レベルでは例外は有るかも知れません。
最初にも書きましたが、亡くなった弟は家族と叔母に生命保険を残しました。幾つかの保険会社と契約していたので、保険会社間の温度差を思わず体感することになりましたので、これも書いておきましょう。叔母に関連した保険会社は二つ。一つは最近伸び盛りでN生命を抜いて第一位になった外資系のAという保険会社。もう一つは老舗のM生命と大手のY生命が合併して出来たMーY生命です。
Aの保険金は弟の逝去から三週間、最初に連絡してから二週間で下りました。難しい書類の提出はなく、死亡診断書と受取人の身分を証明する実効的な書類(免許証、介護保険証のコピーなど)で迅速に手続きは完了しました。一方のMーY生命は私企業として存在しているのが不思議なほど劣悪な対応で、二ヶ月経っても未だに保険金は下りておりません。それどころか保険金請求すら出来ていません。まずたった1枚の保険金請求用紙を送付させるのに一カ月半掛かりました。担当者は相当なお馬鹿さんで、自分では何も出来ず、いちいち本社の指示を仰ぎます。保険金請求など保険会社としては日常業務の筈ですが、それを営業所の保険金請求窓口の人間に教育できていない事に驚愕してしまいます。
一番最初に電話した際にその担当者から言われたことは「裁判所に行って叔母さんの後見人になって請求してくれ」でした。法定後見人になるには相当な期間(4〜6カ月)、10万円以上の裁判費用がかかり、私も広島から大阪地裁に何度も出向かなければなりません。それで「それは出来ないし、叔母は元気なので直接請求するから、用紙を早急に送れ」と返事をしました。それで「分りました、すぐに送ります」ということで電話を切りました。
それから二週間経っても書類は届きません。再度電話をかけると「あれ?おかしいなぁ。出すように指示したのに」と言います。「所であなた、私の住所を弟の家族から聞いているよね?」と聞けば「はい、ちょっと待ってください...」「あ、お伺いしていませんでした。済みません。住所教えてください、すぐに送りますから」との事。住所も知らないのに他の担当者に送付指示を出せる人間って、どういう人なんでしょうね?
その後更に二週間、書類は来ません。それでまた電話を掛ければ「本社が後見人になってくれと言っています」と一カ月前と同じ話をします。そんな話があれば直ぐにでこちらに連絡するのが道理なのにこちらから電話するまでそれをせず、決着した問題をまた蒸し返す、この無知さにはあきれ返ってしまいました。思わずこちらも怒鳴ってしまい、お蔭でやっと年末近くになってA4一枚の用紙が送られてきた次第...しかし要求されている提出書類は、戸籍謄本やら印鑑証明、その他諸々..。私の叔母の場合は転居と重なり、おまけに国籍が現在外国になっているので厄介なのです。(外国人に戸籍謄本はありませんが、それを要求するあたりにもこの担当者というか、保険会社の無知さが伺い知れますね)
私の叔母の方は現在ここまでですが、弟の家族の方はもっと酷くて、保険金請求書を送ってもなかなか保険金が下りず、先日連絡したら「下りている筈ですから通帳記入をしてみてください」と言われたそうです。しかし通帳記入してもお金は無し。普通であれば保険金支払いが確定した時点で、金額、振込日、振込先などを連絡する書類が郵送される物ですが、MーY生命の場合はそれも今のところありません。業を煮やしてコールセンターや本社の方に電話しても「こちらでは詳細を把握しておりませんので、担当者と話をしてください」と逃げる一方です。
保険会社選びで一番大切なのは、いざという時の対応力だと思います。保険そのものの保障内容に目が行きがちだし、宣伝もその部分ばかりされていますが、実はこの部分には余り大差がありません。それよりも重要なのは企業の経営の健全さ(我が家で以前契約していた保険会社は倒産して消滅しました)、そして対応の迅速丁寧さです。保険金が必要なのは凡そこちらが困り果てている時ですから、契約時には美辞麗句を並べても、お金を払う段になってあれこれ理由を付けて支払いが遅れる保険会社は役に立たず、こちらの困惑を増やすだけです。
皆さんもご自分が契約されている保険会社の対応をネットで検索すると面白いと思います。自動車保険関係の記事が多いですが、こちらは事故時の対応方法がパンフレットにも謳われ対応の均質化が進んでいますので、どちらかと言えば生命保険、傷害保険の様な物を調べてみてください。私も生命保険関係を調べたらいきなりMーY生命の話題が出てきて、私同様の苦労をしている人は多いようでした。幸い私個人はMーY生命と契約していませんが、弟の家族はMーY生命と残りの契約を全て解約したのは言うまでもありません。しかしMーY生命の場合は解約にも時間がかかり、まだ完了していないようです...いやはや(--;
このつぶやきのタイトル「お役所仕事」とは、非効率でのろまで、セクショナリズムに満ちた仕事のやり方を指しますが、今回の一件で既に死語になっていると感じました。ここで言う死語の意味は「既に使われていない」ではなく、「お役所だからお役所仕事、という訳ではない」です。お役所でも優良企業顔負けの迅速柔軟丁寧な対応をされる所もあれば、本来生き残りを賭けて合併を繰り返している筈の保険業界でも、数十年前のお役所と見間違うばかりの時代遅れの対応をする会社もあります。後者の企業は淘汰されるべきだし、私が何を言わずとも淘汰されるでしょう。
付記:M−Y生命の保険金不払い発覚のニュースが日本中を駆け巡ったのは2005年2月。このつぶやきを書いた2ヶ月後でした。ニュースが流れる1ヶ月前の2005年1月にそれまでとは打って変わった迅速な対応により、保険金は支払われました。M−Y社内では既に問題が表面化し、対応方針を変えたのだと思います。
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