(とんぼ返りイタリア出張記5の続きです)
出張二日目に昼休みが二時間出来ました。それで仲間と連れ立ってタクシーでミラノ市街に向かい、束の間の休暇を楽しみました。目的地はDuomo、ミラノ大聖堂です。出張仲間四人で大聖堂前まで行きましたが、しかし各人の行動はバラバラ。写真に興味のないふたりは市街地にウィンドショッピング。もう一人の写真に興味のある人と私は大聖堂に入りましたが、その人は大聖堂の塔の上に昇りたいとの事で、私とは別行動となりました。その人は三脚を持っていないので、暗い大聖堂内部の撮影は困難であった事も理由のようです。
私はヨーロッパの教会が大好きです。何よりも日本では見ることの出来ない、歴史に裏打ちされた荘厳な建築、装飾を見ることが出来るからです。そして教会に行くと、塔の上には昇らず、聖堂の中で過ごします。一つには10年ぐらい前にスペイン・バルセロナの聖家族教会(サクラダ・ファミリア)を訪れて塔の上まで昇った時の印象が余りよくなかったことと、私自身が教会の中で敬虔なクリスチャンの様に過ごすのが好きなことが理由です。教会の中では誰も拒否されず、誰もが優しく、穏やかで、静かなのです。しばしカメラを持つ手を止めて、聖堂の椅子に座ると色々な事を考える事も出来ます。
2年前にドイツ・ケルンの大聖堂を訪れたときには、聖堂内で写真を撮ったり、椅子に座って考え事をしたりしているうちに盛大な祝典ミサが始まってしまい、本家のクリスチャンの人々と一緒にミサを経験した事もありました。その日はたまたまキリスト教の祝日だったのです。滅多に姿を見せないはずの司教、何十人という司祭、百人以上の侍者、そして何千人という信者、更にはオーケストラと合唱団、パイプオルガン演奏付きという盛大さでした。ミサ曲はヘンデルのメサイヤと、ベートーベンのハ長調ミサ曲(有名なミサ・ソレムニスではありません)の混合でした。ありがたい(?)司教様の15分にも及ぶお説教も聞いてきました。ドイツ語だったのでただの一言も理解できませんでしたが(笑)、やたら元気の良いお説教でした。私の良き旅の想い出です。
但し、これを読まれてミサに参加しようなどとは思わないでくださいね。ミサの式順やマナー、しきたりを理解しない人が観光気分で参加したりすると、ミサの場をぶち壊しますので。私はカトリックのミサを一通りマスターしています。洗礼を受けたクリスチャンでは無いので、聖体拝礼には参加できませんが。
ミラノのDuomoは、フィレンツェのDuomo、そしてとりわけケルンの大聖堂と同じ構造をしていました。カトリックの大聖堂はみなこの様な構造なのかと思ったのですが、帰国後に辞典で調べたら教会のタイプにもいろいろ有るようです。そしてケルン大聖堂とミラノ大聖堂は同じ系列のゴシック教会との事でした。
Duomoの構造は真上から見たときに十字架の形をしています。そして十字架の頂点に当たる部分が丸くなっていて、その中心部分に司教と司祭がミサを捧げる祭壇があります。その祭壇を取り囲むように回廊があり、そこには様々な物が奉られています。十字架の交点に当たる部分が祭壇の入口部分で、その左右は広く、祭壇入口を三方から取り囲むように信者の座る席が配置されています。初めて訪れたミラノ大聖堂でしたが、一目内部を見てケルン大聖堂を思いだし、すぐに何処に何があるかを理解し、あたかも通いなれた場所の様に撮影を始める事が出来ました。
しばらくは聖堂の内部の「記録写真」を撮っていましたが、印象的な光に惹かれるKENですから、やがて献火のローソクの光のある場所に吸い寄せられてしまいました。そこでローソクの明かりだけで何枚もの写真を撮りましたが、露出が難しいです。EOSの評価測光で+1.5EVぐらいの補正では、ローソク以外は殆ど真っ黒でした。今となっては後の祭りですが、中央部部分測光でローソク以外の部分の露出を計って決めるべきでした。とはいえ、聖堂の内部では暗くてカメラ上面の液晶が見えないため、測光方式を変えたくても操作できませんでしたが。その中から比較的露出の成功したカットを何枚か掲載します。
1時間ほどの時間を聖堂の中で過ごすと、待ち合わせ時間がやってきました。待ち合わせ場所はミラノスカラ座の前。そこには鳩に見事に餌をやるオバサンがいました。その光景を何枚か撮影しましたが、どうやらそのオバサンはカメラを向けると、お金を請求するそうです。私は4カットを10秒ぐらいで撮影したので、請求されるヒマは有りませんでしたが、皆さんご注意を!
さて、昼休みも終わり、午後の会議が始まります。会議の後は夜まで後片付け。そして翌朝は日本に向けて帰国の途に就きます。
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