前回つぶやきからの続きです。今回はカラーフィルムの生みの親であるレオポルド・マネスとレオポルド・ゴドフスキー、そしてその誕生に重要な役割を果したヨハネス・ブラームスと、彼の交響曲第1番第4楽章について語ってみます。
レオポルド・マネス(Leopold Damrosch
Mannes, 1899-1964)はニューヨークで生まれ、ニューヨークとパリで作曲とピアノについて学びました。その後、彼のお父さんが設立したマネス学院(the
Mannes school)で1824年から1831年まで作曲を教え、また後のジュリアード音楽学院となったInstitute
of Music Artで1827-1831年まで音楽理論を教えています。1831年にはこれらの音楽教授職を離れてコダックに入社し、コダクロームの発明に従事しました。1839年に彼はまたマネス学院に戻り、やがてマネス音楽大学と改称後にその学長に就任しました。
彼は音楽教授だけではなく、プロの演奏家(ピアニスト)として幾つかの録音も残しており、CDの入手が可能です。マネス・トリオという名前でピアノトリオのCDを残しています。
レオポルド・ゴドフスキー(Leopold
Godowsky, Jr. 1900-1983)はシカゴで生まれ、著名なヴァイオリニストとしてロチェスター交響楽団で演奏活動をした人です。またサンフランシスコ交響楽団の第一バイオリニストでもありました。学生時代はロスアンジェルス交響楽団のヴァイオリニストもしていました。後にゴドフスキーは「ラブソディ・イン・ブルー」で知られる有名な作曲家のジョージ・ガーシュインの娘のフランセス・ガーシュインと結婚しました。彼女は才能ある声楽家であり、後に画家と彫刻家として知られるようになった女性です。
レオポルド・ゴドフスキーという名前を聞いて驚かれている人もおられると思います。この名前はクラシックのピアノを愛好する人なら何処かで聞いたことのあるだろう名前だからです。私もゴドフスキーの編曲によるピアノ作品のCDを二枚ほど所有しています。しかしこれはコダクロームを発明したレオポルドのお父さんの方です。
お父さん(Leopold Godowsky 1870 - 1938)はリトアニアで生まれました。ピアノは当初独学で学びましたが、やがてベルリン高等音楽院で学びました。1900年にはベルリンでプロデビューを果し、当代一流のピアニストであったブゾーニと人気を二分するほどの成功を収めました。しかしその後の彼のコンサート活動はあまり成功しなかったようです。
父のレオポルドは音楽教育者としてウィーン音楽アカデミーにも籍を置いていましたが、その後アメリカに渡り、生涯を閉じています。
レオポルド・ゴドフスキーの名を現代に知らしめているのは、ショパンの練習曲の編曲や、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータのピアノ編曲などでしょう。特にショパンは、オリジナルでも十分に難曲なのに、それを左手だけの演奏に編曲した物も含まれ、その難易度はピアノ曲の中で歴史上最高との折り紙も付けられたりしています。この曲の音符を取り敢えず音に出来るだけでもピアノ演奏技術はプロとして一流、そこに音楽性まで付加出来れば超一流とされるほどなのです。
そんなビッグ・ネームのピアニスト&作曲家の息子がカラーフィルムを発明したとは....
本業はプロのヴァイオリニストであったレオポルド・ゴドフスキーJr.は、世の中ではやはりカラーフィルムの発明者としての方が有名で、奥さんのフランセス・ゴドフスキーと、その息子のレオポルド・ゴドフスキー三世(親子三代みんな同じ名前ですね)によって、「レオポルド・ゴドフスキーカラー写真賞(The
Leopold Godowsky Jr. Color Photography Awards)」が設立されています。これはカラー写真の分野で功績のあった人を表彰する物です。
ヨハネス・ブラームス(Johannes
Brahms 1833-1897)は北ドイツのハンブルグで生まれました。ドイツ3Bの一人(Bach,
Beethoven, Brahms)と称される作曲家で、音楽の授業にも必ず出てきますから、誰もがその名を聞いたことはあるでしょう。ブラームスが音楽界に彗星のごとくに現れるきっかけとなったのは1853年9月にシューマン家を訪れたことで、シューマンは若きブラームスの天才性に感銘して、シューマンが主宰していた「新音楽時報」の中で華々しくブラームスを紹介したのでした。その時以後、ブラームスとシューマン家の深い親交が始まり、1856年のシューマンの死後は、その妻クララと歴史に残る音楽的親交をお互いが死ぬまで続けたのです。
ブラームスの交響曲第1番・ハ短調・作品68はベートーベンの不滅の9つの交響曲に続く偉大な曲として「第10交響曲」と呼ばれています。彼は作品が出来上がってもなかなか出版せず推敲を重ねた人で、その完成度には定評がありますが、交響曲第1番は彼の慎重癖の中でも極めつけ、作曲開始が1855年、完成が1876年なので実に21年もかけた大曲なのです。この曲は数時間から数日で作曲され、数年で忘れ去られて行く最近の音楽とは「深み」が違います。「色彩感」には溢れていますが、古今の流行歌の様な軽薄な色合いではなく、とても「荘厳」で「深淵」で「渋い」のです。「人生の感情をそのまま写した」ような音楽です(まるでコダクロームの発色ですね)。
さて、問題はコダクロームの誕生の鍵を握った「コダクロームのメロディ」はどれか?という事です。最終楽章(第4楽章)という事ははっきりしていますが、カール・ベームの演奏で18分近くもある第4楽章の中から探し出さなければいけません。鍵は「2拍を1秒」で「口笛で演奏できる」部分です。するとありました!この楽章の中間部分、4分の4拍子で、ハ長調の明るめの音楽にかわり、ヴァイオリンが壮麗優雅なメロディを奏でる部分。ここなら口笛で2拍を1秒で歌えます。では本邦初公開(?)、ブラームスによるコダクロームのメロディの冒頭部分です!
お手元にこの曲のCDをお持ちの方は、是非聞いてみてください。一度聞けば簡単に覚えられる名旋律です。
コダックのフィルムで長時間露出するあなた、時計を見て時間を計るのも良いですが、コダックの伝統と伝説に従えば、このメロディを口ずさみながら時間を計る事が正当な儀式とされています(^^;。
2拍1秒として口ずさむ事は難しくありません。是非それをマスターして、正確な体内時計で良い写真を撮ってください(^^ゞ
ブライチ(ブラームスの交響曲第1番)の第4楽章、冒頭部分はとても暗い音楽です。夜の闇に包まれた森の中の情景の様な短調の音楽...やがてホルンが夜明けの雰囲気の緩やかで爽快な旋律を奏でます。そして、問題のコダクロームのメロディ、これは夜が明けた喜びと活動的な雰囲気を表した優美で躍動的なものです。マネスとゴドフスキーの二人のレオポルドは、ほぼ成功の兆しの見えたコダクロームの実験に際して、彼ら自身が夜のとばりから朝日を迎えた気持ちになったのでしょう。そんな情景が目に浮かぶ様な音楽です。そしてこの夜明けは、そのまま第4楽章の最後であり、この大曲のフィナーレに向かってクライマックスを迎えるのです。
ところで二人は星の数ほどもある音楽の中から、何故ブライチの第4楽章のこのメロディを選んだのでしょう?二人の研究は最初の着手から既に20年近くが経過していました。そして長い紆余曲折の末に、暗やみの中に光明を見出し、夜明けを確信したのでしょう。ブラームスが若い頃に着手し(作曲開始は21才)、完成に21年を費やした大曲ブライチの最終楽章、そのクライマックスに向かう導入部分、日の出を演出したようなメロディ。自分たちの研究人生を重ね合わせたときに、音楽のプロであった彼らにとってそれは当然の選択であったと言えるかも知れません。
その音楽の通りに、クライマックスを経た現在は、カラー写真の長い暗やみから解き放たれて、世界中の多くの人々がカラー写真の恩恵にあずかっているのです。
最後に、ブラームスの交響曲第1番第1楽章の冒頭メロディは、クララ・シューマンの未完のピアノ協奏曲の冒頭メロディから採られています。そしてコダクロームのメロディの直前の、夜明けを伝えるホルンのメロディは、ブラームスがクララに贈った「アルペンホルンの旋律」と呼ばれています。こんな所にコダクロームとクララを結びつける秘密が隠されていて、KENは一人感激に耽っています(^^ゞ |
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