つぶやき137でご紹介したPhoto
Netにある掲示板を毎日チェックしています。その中でCanon
EOS Forumや、ニコンやペンタックスやミノルタなどのカメラの話題が投稿されるCamera
Equipment(カメラ機材)のForumを見ていると、随分と日本とは違う視点で機材のことを選んでいるなぁ、という印象を深めました。
Canon EOS Forumに投稿される相談はレンズの事が過半数です。質問のパターンは幾通りかありますが、回答のパターンは決まっていて、レンズ選びは殆どシャープさだけが基準です。もちろん予算や重さなども考慮はされますが、常に話題の中心はシャープさです。ボケ味とか操作のしやすさは彼らには関係ありません。
またシャープさの基準もはっきりしていて、本当の所のシャープさでは無く、
単焦点 > Lレンズズーム > 廉価ズーム
という事です。ズームの場合はズーム倍率の低い方がシャープという事になっています(間違ってはいませんが)。この極端な風潮を反映して「ズームレンズはどれが良いか?」という質問に対して「単焦点を買うべきだ」という呆れた回答も散見されます。多分この回答をした人は写真の命は解像度であって、(特に風景撮影における)ズームレンズの持つ構図調整能力や機動力というのは関係ないのでしょうねぇ。解像度だけが問題なら35mmカメラを使う事そのものが間違いだと思いますけど...
またEOS用レンズのブランド別評価は、
キャノン > トキナー >> シグマ
となっていて、シグマのレンズは実力がどうあれズタズタな評判になっています。この悪評には新型EOSでのレンズ作動不良が大きく影響しています(二日に一件はシグマの作動不良の相談があります)が、それが「シグマはシャープではない」という評価にすりかわる事になります。
今までこのForumで逆光性能の事を聞いた記憶が殆どありません。収差もしかり。ボケ味は一人を除いて皆無...
かつて私の掲示板で実況中継した事がありますが、ある日キャノンのEF100mm
F2.8 USM Macroを買いたい人が「このレンズの評判を調べたが悪い評判が何も無い。誰か悪い経験をしたことは無いのか?」と質問してきたので、私が「このレンズは1mよりも近接撮影すると絞りが絞り込まれて、ボケが汚い八角形になる」と書いたところ、他の人から総攻撃を受けました。曰く...
「このレンズはウルトラシャープだ。だから良いレンズだ。」
「絞り込まれるのは絞りではなくて、フレアカット絞りだ。それの何が悪い?」
(実際に後日確認したら、絞り羽とは別のフレアカット絞りが作動していました)
「ボケの何が重要なのだ。レンズはシャープな映像を得ることが目的であり、アンシャープな映像に何の意味がある?」
などなど。この人たちに日本の常識は通じないと思い、途中で議論を止めました。
レンズのシャープさ(解像度)の事しか気にしない、この単細胞とも言える発想は何処から来ているのか不思議です。多分、アメリカの雑誌では解像度テストなどがレンズ評価の基準になっているのでしょう。またつぶやき137で紹介したPhotodo.comなども、シャープさだけが基準となる様な土壌を作っているのかも知れません。稀に自分で解像度テストをして報告する強者もいます。
日本においてレンズ解像度はレンズ選びの中で極端な要素にはなっていない様に思えます。アサヒカメラ/日本カメラのテスト記事には解像度も出てきますが、幸い(?)アサヒカメラ/日本カメラがテストしているレンズの数は非常に限られています。レンズテストの大御所といえるCAPA連載の西平英生さんは、レンズ解像度の事をアマチュアが気にしすぎるので、実際の測定値を発表していない事も解像度偏重主義を抑止していると思います。加えて、日本のプロカメラマンには解像度だけではない、種々の趣きに富んだ写真スタイルを確立された方が多い事もあるでしょう。我々アマチュアも解像度もさることながら、歪曲収差とか周辺光量とかボケ味とかいった方に興味がありますよね。
まあ、日本での弊害といえば「風景にはベルビアと偏光フィルター」という病気が蔓延している事ぐらいでしょうか?
英語圏の人達がみな解像度偏重主義かと言えば、多分そんな事は無いのだろうと思います(思いたいですね)。日本でもある種のカメラ掲示板に集う人達は、機材マニア(やたらと高級レンズを買って、その性能を比較する人達)ではあっても、芸術作品としての写真を撮ることを目指しているようには思えない人達がいます。PhotoNetの回答者側に集う人達もそんな人達なのかなぁ??と思ってしまいます。常連回答者のHPを訪問したこともあるのですが、写真の腕は...??
もう一つ気になったのが、解像度を気にする人の多くが、三脚の事はあまり気にしていないという事と、AF性能を気にする事です。手持ちAFで撮影してシャープも何も無いと思います。最新のAFでもそのピント精度はさほど宜しい物ではありません。開放だと多少の前ピン、後ピンは当たり前です。三脚に固定し、自分の目でしっかりとピントを合わせて、ブレに細心の注意を払って撮影して初めて、レンズの持っている性能を引き出せるのでは無いでしょうか?
フォトテクニック3/4月号に掲載された夜霧の写真は、中古で多分5000円も出せば買える米国では悪評高いシグマの最廉価ズームレンズで撮影しましたが、原版を見るとそのシャープさには私もビックリします。これ以上のシャープさが何故必要なのでしょう?? 但しこのシャープさを引き出す為に私はその場で使えるテクニックは全て使いました。当然MFですし、ミラーアップと三脚とリモコンを用い、F5.6まで絞っています。
オーディオの世界では有名な格言に次の物があります。確か亡くなられた長岡鉄男さんが言われたのだと記憶していますが..(表現は正確ではありません、意味をくみ取ってください)
「音楽を聴く人は、音質をあまり気にしない」
「音質を追求する人は、聴いている音楽が名演かどうかをあまり気にしない」
これはカメラにも当てはまると思っています。
「機材の性能の優劣を気にする人は、写真の(芸術としての)出来栄えは気にしない」
「(芸術としての)写真を追い求める人は、機材の性能の優劣をあまり気にしない」
と言えるのでは無いでしょうか?実感として人間一人が使える脳味噌の量も時間も限られていて、片方に意識が集中すると、もう片方には意識が十分に回らなくなるのだと思っています。
レンズの解像度だけを気にする人に芸術的な写真は撮れないと思います。写真の本質はそんな事では無いですよね。被写体の魅力、構図、光、色、露出、ピント位置、ボケ、ブレ、その他もろもろの要素がもたらす「メッセージ」こそ写真の本質でしょう。
解像度だけを気にする人達は、伸ばした写真をルーペで覗き込んでその描写力の比較をしているのでしょう。その状態はまさに「木を見て森を見ず」、いやそれを通り越して「葉を見て山を見ず」ぐらいの違いがあります。私が初めて撮影した4x5写真の感激は、ルーペで覗き込んで「山の木々の葉っぱが見える!」という事でした。それはそれで良いのですが、その写真に写っている被写体は葉っぱではなく、山なのです(^^; 如何なる35mmカメラでも追いつけないだろうと思う解像度を持ったこの4x5の写真は、しかし単なる試し撮りの駄作なのです。
皆さんも、レンズ性能の一つだけがとても気になりだしたら、要注意かも!
続編→つぶやき176
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