デジタル全盛の時代です。Kiss Digitalが10万円以下で買えるのですから、多くの人にとって銀塩にこだわる理由など無いかもしれませんね。でもKENは銀塩ポジにこだわり続けます。
だって、ポジ+ライトボックスが一番美しい
どの記録形式に拘るかは、まず目的有っての結果だと思います。もし写真を撮る事の目的がウェブサイトへの掲載であるならば、デジタルカメラに敵う物は無いと思いますし、多分私もサッサとデジタル一眼レフを買っていたでしょう。画質よりもスピードと遠距離転送が要求される報道分野でもデジタルが最良でしょうし、完成品に至るまでにレタッチや合成の必要な広告写真でもデジタル優位でしょう。また芸術写真を目指すのではなく、ちょっとした情景を記録してその場で離れた場所にいる友人達と分かち合うのであれば、携帯電話のカメラ機能に敵うものは無いでしょう。
私の尊敬する三輪薫さんは、写真の最終目的を大きく伸ばして鑑賞する事に置いておられます。それ故にフォトコンテストの審査員をされている時にはポジ応募作品に対して「インターネガを起こしてプリントすれば、柔らかな階調を得られて良かったと思う」というようなアドバイスをされていましたし、最近はデジタルカメラとインクジェットプリンターを用いて、伊勢和紙にプリントした日本画のような作品を発表されています。プリントを最終目的とされていますから、中間記録方式は目的に適えばOKなので、三輪さんは最終プリント作品のイメージに合わせてポジ、ネガ、インターネガ、そしてデジタルと全部使いこなされているようです。
で、私の写真の最終目的は何か?それは「ポジをライトボックスで鑑賞すること」です。本当に美しいプリントに出会った事が無いせいかも知れませんが、ポジを透過光で見る美しさに勝る写真鑑賞方法を私は知りません。
ポジからプリントも時々しますが、2Lへの試し焼きから始めてプロラボへの焼き直し依頼を数回繰り返し、ポジに近い品質のプリントを得るのがやっとで、決してポジ原板の美しさを凌駕しません。デジタル画像となるとPC画面で鑑賞することになりますが、微妙な階調表現を要求する私の写真スタイルにとって、CRT画面品質は決して満足できる物ではなく、液晶画面の品質に至っては単なる冗談にしか思えません。デジタルプリントもコストに糸目を付けない品質の物は試したことがありませんが、フロンティアぐらいの品質であればやはりジョークであり許容出来ません。
という訳で私は「ポジ原板をライトボックスで鑑賞すること」を最終目的としており、これを変える気がありません。すると、デジタルという中間プロセスは相容れない物になるのです。
※デジタルデータからポジフィルムを起こすプロラボサービスもありますが、一枚あたり5000円〜10000円もかかりコスト面で実用的ではありません。
私にとって趣味とは自己研鑽。撮影プロセスと結果が1:1で結びつくポジがいい
私が写真を撮る上で大切に思っている事に「撮影時の緊張感」があります。35mmポジであれば一枚当たりのコストは50円弱、段階露出する事を考えるとワンカットあたり(3ショットとした場合)のコストは150円弱にもなり、無暗にはシャッターを押せず、必然的に被写体を見極める目、構図を作る注意力も高まります。私はポジをそのまま鑑賞しますし、フォトコン応募もポジのままですからトリミングを一切しません。トリミングもせず、撮影後の色調整もせず、撮影時の操作だけで全てが決まるという緊張感は私にとってとても大切で、作品に息吹を吹き込んでいると感じています。しかしデジタルの場合は一枚撮るのも十枚撮るのも同じコストです。トリミングもパソコン上でワンタッチ。だからつい「取り敢えず沢山撮って後で選ぼう」という気持ちに傾きがちですが、こういう安易な気持ちからは良い作品って生まれにくいと思います。勿論デジタルでも緊張感を持って一枚一枚に精魂込めてシャッターを押せる人は居られるでしょうけどね。
そしてもう一つ「ポジには絶対的な原板がある」事も大切に思ってます。ネガにも原板はありますがプリントしないと作品の良否がわかりませんし、プリントの過程で不確定要素が入り込みます。デジタルに至っては原板と呼べる物がありません。デジタルデータはPCの画面かプリントで鑑賞する事になりますが、そこに至るまでの不確定要素はネガ以上です。緊張感を持って選択した自分の撮影プロセスを一つ一つ検証しながら、より良いプロセスを身に付けてゆく上で、現像の失敗以外には不確定要素の入り込まない、絶対的な原板が存在するポジ撮影に勝る物は無いと思っています。
芸術は永続的であって欲しい。デジタルは刹那的な気がする
このポジ原板、長期保管は至って容易です。まあ、退色の方は「50年でも大丈夫なコダクローム」を除けば20年もすると確認出来る様になるみたいですが、画像が突然無くなってしまう事はありません。気にすべきはカビと、火事などの災害ですね(災害はデジタルでも同じ事)。..
一方のデジタルの長期保管は色々な意味でリスクの高いものです。デジタルデータを10年、20年という単位で長期に渡って安定的に保管し活用出来るメディアはチョット考えつきません。まず物理的な保管であればDVD-RやCD-Rなら直射日光や蛍光灯、あるいは高温に曝さない限り大丈夫でしょう。しかしHDDなどの大容量、書き換え可能なメディアはまず無理ですね。10年も経てば過半数のメディアが壊れている筈です。さらに忘れてならぬのは、メディアを読み書きするハードウェアの商業的な寿命です。私がパソコンを始めた頃はどの機種にもフロッピーディスクドライブは付いていて、永遠のメディアかとも思いましたが、現在消滅しつつあります。PDディスクとか、MDデータとか、ZIPとかも一世を風靡しましたが、現在消滅しつつあります。MOは比較的長寿命ですがそろそろ消滅過程に入りそうな気配です。CD-Rは永遠のメディアであって欲しいのですが、同じサイズで7倍の容量のあるDVD-Rに置き変わりつつあるし、DVD系の大容量化技術も実用化されつつあるので、いつまで現在の4.7GB規格が生き残るのかも不透明です。
この様な事情からデジタルデータの長期安定保管の為には何重ものバックアップと、適切なインターバルでの保管メディアスイッチを行わないと20年後に画像データを活用することは困難ですし、そこまでしてもファイルフォーマットが20年後に読めるかどうか、不透明です。現在汎用として読めるのはJPEGとかTIFF、BMPなどですが、特に前者は画像劣化があるフォーマットなので、将来のどこかで画像劣化のない圧縮率の高いフォーマットに駆逐されそうで怖いです。TIFFやBMPの保管はファイル容量が大きくあまり実用的では無い事と、このフォーマットに相応しい画像を得る為にはRAWで撮影して現像することが必要で、かなりの手間暇が掛かります。RAWでの長期保管は最もナンセンスで、これはデジカメの機種依存フォーマットであり、現像ソフトもOS依存なので、ファイルを無事保管したとしても、10年後にデータを活用することは非常に難しいでしょう。
そして強調しておきたいのは、デジタルデータに何かが起きた時には全てが失われるという事です。銀塩写真の様に「ちょっと色味が失われたな」とかいうレベルではなく、デジタル作品は無に帰します。折角撮影した作品なら私は数十年後でも鑑賞したいと思うのですが、デジタルはアナログ形態(プリントなど)に変換しないとチョット無理だと思います。撮影日を起点として精々10年以内の命だと思うので、これを作品制作の基盤にしようとは思いません。
一つの機材と長くつきあいたい。しかしデジタルは永遠の未完成品
私は一つの機械、システムを購入したら「せめて」10年、出来れば20年は使いたいのですが、デジタルはその期待に応えてくれません。デジタルカメラは依然として技術的に未完成品で、まだまだ進化を続けるでしょう。個人的感覚としては35mmフルサイズ撮像素子を持った一眼レフが実売10万円程度になれば(根拠は無いけどあと5年ぐらいかな?)、技術的には成熟期に入れると思うのですが、デジタルカメラは宿命としてパソコンとの連携が必要です。パソコンの方はマイクロソフトの陰謀により「旧製品を1〜2年で陳腐化させて新しい商品を買わせる為の進化」を永遠に続けるでしょうから、それに吊られてデジカメも1〜2年で陳腐化するような進化を止められないと思います。進化という名の下に変わって行く部位は、インターフェース(ADB/シリアル接続がUSBやIEEE1394に置き変わった様な変化)、記録メディア(一昔前のスマートメディアが無くなり、コンパクトフラッシュやSDカードに置き変わった様な変化)、OS(WIN
XPやMac OSXが出て、WIN95やMac OS9/漢字Talk時代の機材が使えなくなる様な変化)などで、カメラとして「撮影し、画像を記録する」という本来の機能とは無縁の所で旧世代商品をゴミにするために変化し続けるでしょう。最低でも10年以上使える様な、私の期待に沿うデジカメは永遠に現れないのかも知れません。
私にとってデジタルはコストパフォーマンスが悪い
私にはデジタルよりもポジフィルムの方がどう考えても安上がりです。私の1年間の撮影本数は36枚撮りで60〜70本ぐらいです。撮影に際してフィルムをケチったりする事はありませんので、この本数はサラリーマンKENが思う存分撮影して消費する適正値です。フィルム1本当たりのフィルム代と現像料は合わせて1500円ほどですので、年間10万円ほどのフィルム+現像料を払っています。ある意味でたったこれだけで銀塩品質を思う存分に楽しんでいることになります。デジタル一眼レフを購入するとなると、一昔前までは30万円を超えていました。それで2年も経つと下取り値は屑値で性能的にも使いにくくなったりして、減価償却費だけでフィルム代を補って余りあるほどデジタルはお金を浪費してきました。最近は10DとかKiss
Digitalとかが10万円台で買えますので、それほど酷い状況にはならなくなりましたが、記録メディアやパソコンの増強、広角を得る為の超広角レンズの購入など周辺機材のコストも嵩みます。デジタル一眼レフ本体も2年に一度の買い換えは当面必要だと思います。撮影一コマ毎の変動費はゼロに近いとしても、初期投資(固定費)の減価償却まで含めるとデジタルは私の撮影本数レベルにおいて決して安上がりではありません。
※デジタルカメラを買われた方は一日で数百枚以上も撮影する事が珍しくありません。それでデジタルでの撮影枚数を銀塩のコストに換算して、元が取れたかどうかの計算をされる方が多いですが、それはダメですヨ。多くの方は銀塩ならばデジタル同等の枚数は撮影せずに、代わりに一枚あたりの注意力が上がっているはずです。要は、一年間存分に写真を楽しんで、しめて幾ら?という基準で考えないとね。アマチュアは。
全ては貧乏人(貧乏性)のひがみ? まあ、そんなもんです(笑)
ちょっと補足すれば、今まで述べてきた理由が「私の中で」正当化される背景には、私の撮影ジャンルがネイチャー系であり、写真のプロセスを通じた自分の能力向上を「趣味」としている事があります。
風景写真や花のマクロ撮影では速射性を必要としません。むしろワンカットの撮影に時間をかけて、被写体とじっくり向き合えるジャンルであるからこそ、銀塩ポジにこだわることが可能なのだと思っています。もし連写が必要でフィルム交換しているヒマも惜しいジャンルであれば、速射性のあるデジタル一眼レフに大容量記録メディアを用いるかも知れません。また失敗の許される、失敗を楽しめる「趣味」だからこその銀塩こだわりであり、もし失敗が絶対に許されないプロとしての仕事をするのであれば、やはりデジタルを選ぶかも知れません。
映像作品を作り上げるプロセスとして比較すれば、銀塩よりもデジタルの方が総合ポテンシャルは高いと思っています。デジタルのような新しい便利なプロセスは、古い不便なプロセスをマスターした人が活用すれば今までに無い新しい可能性を開拓する事も多いと思いますが、しかし最初から新しい便利なプロセスに頼ると、そのプロセスは、プロセス自身が持つ便利さでは補えないほどに人間側の能力を堕落させると感じています。ワープロ/パソコンが当たり前になった後の肉筆で漢字を書く能力とか、AE,
AF が当たり前になった後での露出とかピントを判断する能力とか、日本人の平均値として見ればみな低下しているでしょう。私は残念ながら肉筆で漢字交じりの文章を書く能力は学生時代から大きく退化してしまいましたので、せめて写真の能力だけはそうなりたくないと思っています。だから銀塩EOSを使いつつ、90%以上(実際には多分99%)のカットをMFで撮影していますし、EOSのAE機能をあたかも単体露出計の様に使うことも多くあります。それは私の撮影データにある縦横無尽な露出補正値をご覧いただければ判っていただけるでしょう。EOSの内蔵露出計が何をしているのかを常に把握しようと勉め、それに応じた露出補正を恣意的にかけている結果です。
デジタルプロセスを作品制作に採用してしまうと、後工程で如何様な補正も可能になるので写真撮影時の緊張感も能力も退化するようで恐いのです。私自身は仕事柄レタッチソフトを扱ってきた経験も長く(仕事で最初に使ったレタッチソフトはフォトショップ1.0.7です)、何でも出来ることを知っているつもりなので、意図的に原板のないデジタルプロセスを避けています。
とは言っても、最大の背景はKENが貧乏性という事に尽きますね(笑)。もし私に現在の10倍の収入が有れば、恐らくEOS
1Dsを買って今とは違うつぶやきを書いているような気もします(笑)。
残念ながら私の収入が今以上に増える気配は無いので、今後共に銀塩ポジに拘って(これは「抜け出せなくて」とも言う(^_^; )写真撮影して行こうと思います。で、私はデジタル一眼レフを買わないのかって? 何時かは買いますよ。つぶやき75-76で述べたように、35mmフルサイズの撮像素子を持つ一眼レフ(EOSマウント)が、中古でもOKなので10万円以下(多分6万円)になったなら買います。そして銀塩撮影のサブ機、ポラ代わりとして活用するでしょう。
.....何年先のことなんだろう??
続く
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